渡瀬恒彦さん(1944-2017)。
晩年は「おみやさん」や「警視庁捜査一課9係」で温厚な刑事役として親しまれましたが、1970年代の東映アウトロー映画全盛期には“芸能界最強の男”として恐れられていました。
業界内では「マッドドッグ(狂犬)」とあだ名され、その存在感はスクリーンを飛び越えてリアルに伝説となったのです。
そこで今回この記事では
- 渡瀬恒彦のケンカ最強伝説!あまり知られていない真実
に迫りましたので、ぜひ最後まで読んでいってください!
それでは、早速始めましょう!
渡瀬恒彦のケンカ最強伝説!あまり知られていない真実に迫る!

第一章:武道の基盤と肉体的優位性
渡瀬の強さの背景には、確固たる武道の基盤がありました。
高校時代は柔道、早稲田大学では空手部に所属し二段の腕前。
ボクシング経験もあり、まさに“総合格闘家”の素養を持っていました。
兄・渡哲也さんも空手経験者でしたが、腕力・技術ともに弟・恒彦の方が勝っていたといわれています。
第二章:武勇伝の真相
安岡力也さんとの因縁
最も有名なのは、東映会館裏駐車場での安岡力也さん事件。
身長187cmの元キックボクサーを「半殺し」にしたとされる逸話です。
安岡さん自身が後年「恒さんを怒らせるな」と語ったほどで、伝説は事実味を帯びています。
六本木での乱闘
梅宮辰夫の証言によれば、焼き鳥屋帰りにサラリーマン集団と衝突。
渡瀬さんと安岡さんが取っ組み合いになった瞬間、周囲はただならぬ空気に凍りつき、相手はすぐに退散したといいます。
米兵3人を撃退
「米兵3人を返り討ち」という武勇伝もあります。
詳細は不明ですが、当時の治安状況からすれば十分起こり得た話でした。
第三章:現場での恐るべき一面
俳優・津田寛治の証言によると、撮影現場で監督がカメラマンを侮辱した際、渡瀬は「オレがやれと言ったんだ!」と激昂し、監督を殴打。
共演のV6井ノ原快彦さんが止めに入る騒ぎになりました。
また、「警視庁捜査一課9係」で窪塚俊介さんの首を本気で絞め、声を失わせた逸話も残ります。
さらに『北陸代理戦争』撮影中にはジープに轢かれ瀕死の重傷を負うも、奇跡的に生還。
肉体の強靭さはまさに常人離れしていました。
第四章:芸能界での立ち位置
酒席では先輩・菅原文太さんを「帰れ!」と一喝した一方、財布は出させるという義理堅さを見せました。
また、大御所・若山富三郎さんすら渡瀬さんの睨みに何も言えなかったとされ、芸能界で一目置かれる存在でした。
現代の証言として、小沢仁志さんは「渡瀬さんが歌舞伎町でヤクザ数人と殴り合い、“東映だコラ!”と叫んでいた」と明かしています。
第五章:兄弟関係と人情の男
芸能界最強と恐れられた渡瀬さんですが、兄・渡哲也さんの前では「弟の顔」を見せ続けました。
実は渡瀬さんが兄の写真を日活に送り、芸能界入りのきっかけを作ったのです。
また、江藤潤さんの証言によれば、絡んでくる不良を「お客さんに迷惑だから」と店外に丁寧に誘導。
暴力だけでなく、義理と人情で場を収める一面もありました。
第六章:スクリーンに宿る“本物感”
映画『極悪拳法』では、プロ格闘家に混じっても一歩も引かぬ存在感を放ちました。
批評家は「芝居を超えて本当に勝っているように映る」と評し、そのリアリティが観客を圧倒しました。
まとめ
今回は渡瀬恒彦さんのケンカ最強伝説・あまり知られていない真実についてお伝えしました。
渡瀬さんのケンカ最強伝説は、単なる噂ではなく、武道の素養・現場での目撃証言・映像の迫力によって裏付けられています。
しかし彼の真の強さは、義理と人情を重んじ、兄を立て、後輩を守る“人間的な品格”にありました。
芸能界最強と呼ばれながら、最後まで筋を通し、周囲に愛された渡瀬恒彦さん。
その姿こそが、伝説の真実なのです。
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