田宮二郎の遺書に隠された真実!8通の手紙が語る「最後の想い」とは?

1978年12月28日──日本中を震撼させた田宮二郎さんの猟銃自殺。

『白い巨塔』で財前五郎を演じ、名実ともにトップ俳優となったその矢先の出来事でした。

表向きには「うつ病による自殺」と語られてきましたが、遺族や関係者の証言から、38年を経て“知られざる真実”が浮かび上がっています。

そこで今回この記事では

  • 田宮二郎さんが残した8通の遺書とその宛先や内容から浮かび上がる「本当の苦悩」

について、植毛手術の失敗、不倫、経済的困窮、そして『白い巨塔』との因縁を徹底調査しましたので、ぜひ最後まで読んでいってください!

それでは、早速始めましょう!

目次

田宮二郎の遺書に隠された真実!8通の手紙が語る「最後の想い」とは?

8通の遺書に込められた想い

田宮さんが残した遺書は、実に8通に及びました。

宛先は妻や子供たちだけでなく、家庭教師、弁護士、そして親しい俳優仲間など多岐にわたります。

  • 妻・藤由紀子宛て
  • 長男・柴田光太郎宛て
  • 次男・田宮五郎宛て
  • 二児の家庭教師宛て
  • 弁護士2名宛て
  • 田宮企画顧問宛て
  • 俳優・奈良岡朋子宛て
  • 鬼沢慶一宛て

特に注目されるのは、俳優仲間で奈良岡朋子さんだけに遺書を残していたという事実。

田宮さんは彼女を「実の姉のように慕っていた」と言われています。


最後に残した日記の言葉

自殺当日の日記には、義母の入院について記した後、衝撃的な一文が残されていました。

《なお、ぼくも死を選びます。何を語ってもぼくの生きる方法はないと思います。許してください》
《頭が痛い。そううつ病だ。生きる力を失った》

11月から書き始めたこの日記は、彼の“死への覚悟”を示す貴重な記録となっています。


妻への切ないメッセージ

妻・藤由紀子さん宛ての遺書には、夫婦の最後の会話が記されていました。

《「ひとり置いてゆかないで!」と涙ながらに訴えたS子に、僕は「もちろんさ!」と答えた。しかし、心の中を見透かされた僕は、あなたの手を握ることしかできなかった》

そして最後には、こう締めくくられています。

《病で倒れたと思ってほしい。事実、病なのかもしれない。そう思って、諦めてほしい》

最愛の妻に向けた、あまりに切ない別れの言葉でした。


苦悩の「三重苦」

田宮二郎さんを追い詰めたのは、表舞台からは見えない三重苦だったといわれています。

  1. 英国での植毛手術失敗
     ロンドンで極秘に受けた植毛手術が失敗。強烈な頭痛と皮膚の変形に悩まされ、クールなイメージを守れない苦しみが続いていました。
  2. 経済的困窮と投資詐欺
     大学時代の先輩から持ちかけられた「海外漁業権・石油採掘権投資」に騙され、多額の損失を抱えることに。海外出張のたびに憔悴して帰国していたといいます。
  3. 大女優との不倫関係
     山本陽子さんとの関係は家庭を揺るがし、長男が電話口で「パパを返せ!」と叫んだほどの修羅場を生んでいました。

『白い巨塔』が引き金に?

妻・藤由紀子さんは、38年の沈黙を破ってこう証言しています。

「最後に『白い巨塔』をやっていなければ、田宮は死ななかったと思う」

彼女は田宮が出演した「白いシリーズ」を「お金に転んだ仕事」と評し、繰り返しの役柄に精神をすり減らしていたと振り返りました。


謎に包まれた“最後の90分”

自殺当日のタイムラインも不可解です。

  • 午前11時半頃:付き人に「食事をしたい」と声をかける
  • 午後1時頃:付き人が帰宅すると、すでに絶命していた

この“空白の90分”に何があったのか──

今なお謎のままです。


家族への最後のメッセージ

次男・田宮五郎さん(のちに俳優となる)へは、こんな言葉を残していました。

「俳優になるなら、人間を知ってから」

これは、自らが俳優として背負った苦しみを息子には繰り返させたくないという、父としての最後の教えだったのでしょう。


まとめ

8通の遺書と最後の日記から見えてくるのは、衝動ではなく、長い苦悩の果てに選ばざるを得なかった“決断”です。

奈良岡朋子さんへの手紙に示された信頼、妻に向けた「病で倒れたと思ってほしい」という優しさ──

その一つ一つが、田宮二郎という人間の真実を物語っています。

昭和を代表するスターの死から半世紀近く経った今、私たちは「華やかな光の裏に潜む影」に目を向けるべきなのかもしれません。


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