昭和を代表する名優・高倉健さんと、国民的人気歌手の江利チエミさん。
1959年の結婚は大きな話題となり、「理想の夫婦」として多くの人に憧れを抱かせました。
しかし、わずか6年後の1964年、世間を驚かせる離婚へと至ります。
その裏には、一般的には語られてこなかった深い真実が隠されていました。
そこで今回この記事では
- 高倉健さんと江利チエミさんの離婚の真実・生涯続いた愛の物語
についてお伝えしますので、ぜひ最後まで読んでいってください!
それでは、早速始めましょう!
高倉健が江利チエミと離婚した本当の理由・知られざる真実と愛の物語

異父姉の策略が夫婦を引き裂いた
離婚の背景で最も大きな要因となったのは、江利チエミさんの異父姉による巧妙な工作でした。
- 経済的搾取:江利さんの実印を用いて銀行預金を横領(総額約1億8000万円)。
- 不動産を担保に借金:高倉・江利邸を勝手に抵当に入れ、高利貸しから借金。
- 心理操作:「高倉健には愛人がいる」と虚偽の情報を吹き込み、夫婦関係を悪化させる。
- 離婚誘導:弁護士の元まで同行し、江利さんに離婚を強く勧めた。
女優・清川虹子さんの証言によると、「チーちゃんがすっかり信じて、実印から何から全部渡していたお姉さんがやったこと」と語られています。
つまり、夫婦の愛情そのものよりも、身近な人間関係の歪みによって離婚は決定的となったのです。
子供を授かれなかった深い悲しみ
夫婦をさらに苦しめたのは、子供に恵まれなかったことでした。
- 流産の経験:江利さんは妊娠するも流産。
- 水子供養:高倉さんは鎌倉に水子地蔵を建立し、生涯にわたり供養を続けた。
- 養子の喪失:江利さんは兄の子・サトシを養子に迎えようと同居しましたが、1961年に事故で亡くしてしまいました。
この喪失感が夫婦関係をより一層切なくさせました。
江利チエミが自ら離婚を選んだ理由
離婚を切り出したのは江利チエミさんでした。
その動機は「高倉に迷惑をかけてはならない」という愛情からでした。
夫に余計な重荷を背負わせまいと、自ら身を引いたのです。
復縁の申し出と高倉健の決断
離婚後、江利チエミさんは一度だけ復縁を申し入れました。
「健さん、もう一度、一緒になれないかしら」
しかし高倉健さんは、
「一度別れるって新聞で発表したんだから、いまさら戻るわけにはいかない」
と答えました。
ここには、世間に対する責任感と美学がにじみ出ています。
離婚後も続いた高倉健の愛と後悔
離婚しても二人の絆は消えることはありませんでした。
- 再婚しなかった理由:江利チエミさんへの愛を貫いたため。
- 毎年の墓参り:1982年、江利さんが45歳で急逝した後も、命日には墓参りを欠かさなかった。
- 水子供養の継続:生涯にわたり、失った子のための水子地蔵を守り続けた。
江利チエミの孤独な最期
江利さんの最期は、あまりにも孤独でした。
俳優・杉良太郎さんの証言によれば、自宅寝室で倒れており、誰にも看取られることはありませんでした。
その悲劇的な最期は、多くの人の胸を締め付けました。
隠された愛の証拠
高倉健さんは江利さんの葬儀に姿を見せませんでした。
しかしそれは冷淡さではなく、世間の注目を避け、静かに彼女を偲ぶための配慮でした。
そして彼は生涯独身を貫き、愛を墓場まで持ち続けたのです。
まとめ
今回は高倉健さんが江利チエミさんと離婚した理由についてお伝えしました。
この離婚は単なる夫婦の破綻ではありませんでした。
悪意ある第三者によって引き裂かれながらも、二人は最後まで互いを想い合っていたのです。
「迷惑をかけまい」と身を引いた妻と、
「生涯愛を貫く」と決めた夫。
そこには憎しみなど一切なく、時代を超えて語り継がれるべき“純愛”があったのです。
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