名古屋主婦殺人事件・母親と息子の愛の記録とは?あまり語られていない真実!

1999年、名古屋市西区で起きた主婦殺害事件。
母・高羽奈美子さん(当時35歳)と、目の前でその惨劇を見た2歳の息子・航平さん。
そして26年後、ようやく逮捕された犯人。
今回は、この家族の“あまり語られてこなかった真実”に焦点を当てます。


目次

名古屋主婦殺人事件・母親と息子の愛の記録 / 事件の概要と「息子が見た現場」

1999年11月13日、名古屋市西区稲生町のアパート「加藤コーポ」201号室。
2歳の息子・航平さんは、母・奈美子さんのすぐそば——

リビングのテーブルの前で倒れていた母の姿を見つめていました。

「2歳の息子の目の前で…」
という一文が当時の新聞に残っています。
つまり彼は“犯行を目撃した可能性が極めて高い子ども”だったのです。


母・奈美子さんが残した「2年間の育児日記」

奈美子さんは、航平さんが生まれてからの2年間、毎日びっしりと育児日記をつけていました。
そこには手作りの離乳食、初めて立った日、熱を出した夜…
どれも「母としての喜び」で満たされていました。

「息子の笑顔が私の生きがいです」
——最後のページには、そう書かれていたといいます。

事件は、その愛情の延長線上で起きました。
ごく普通の昼下がり、自宅のリビング。

犯人は夫の高校の同級生という“知人”として家に入り、奈美子さんの命を奪いました。


息子・航平さんが背負った“沈黙の26年”

● 2歳で母を失い、「事件モードの家」で育つ

祖母は近所の偏見に傷つきながらも、息子を「母のいない子にしないように」と育てたといいます。
家には“事件の部屋”がもう一つ存在した。
父・悟さんが26年間借り続けた、あの201号室です。

家賃総額は約2,000万円。
その部屋は「母の最後の場所」であり、「事件の証拠の部屋」でもありました。

● 小学生で父とともにチラシ配り

「母の事件を忘れないために」
航平さんは小学生の頃から父と一緒に、ビラを配る活動に加わっていました。
通常、遺族の子どもを前に出すことは避けられますが、彼は“事件を伝える側”に立たされていたのです。

● そして27歳、沈黙を破る

2024年、事件から25年。
「犯人に何を伝えたいですか」と問われ、航平さんは静かに語りました。

「僕の中では母はずっと生きています。
どうして、あの日のまま止まったのか…知りたいだけです。」

この言葉は、長年父の後ろにいた彼が初めて“声を持った瞬間”でした。


奈美子さんが「警戒を解いた」理由

犯人・安福久美子容疑者(逮捕時69歳)は、夫の高校時代の同級生
奈美子さんにとっては「夫の昔の知人」に過ぎませんでした。
だからこそ、玄関を開けてしまった。

現場には、家族は飲まない種類の乳酸菌飲料が残されており、
“気安い関係”を装っていた可能性が高いとされています。


父と息子が守り続けた「現場という祈りの場所」

悟さんは事件後、引っ越しながらも201号室だけは26年間借り続けました。
その理由は「妻の声が残っている気がするから」。
この執念が、最終的に2025年の逮捕につながりました。
DNA鑑定により、部屋に残されていた“別の血痕”が犯人特定の決め手になったのです。

“母の部屋を守った”父と、“母を見た”息子。
二人の時間が、26年を超えて一つの答えに辿り着いた——。


事件年表(1999〜2025)

出来事
1999年11月名古屋市西区の自宅で高羽奈美子さん殺害。息子(2歳)がそばに。
2000年代前半父・悟さんがビラ配布を開始。息子も同行。
2019年事件から20年、育児日記が報道で公開される。
2024年25年目特集で息子が初めて心境を語る。
2025年10月31日高校時代の同級生・安福久美子容疑者(69)を逮捕。DNA一致。

読者への問いかけ

もしあなたが、2歳の時に母を失い、
父が26年間その「部屋」を守り続けたとしたら——。

その家賃を払い続ける意味、
その時間を抱えて生きる重みを、
少しだけ想像してみてください。


まとめ

  • 航平さんは“母の目の前で事件を見た”可能性が高い
  • 母・奈美子さんは育児日記と愛情で満たされた日々を送っていた
  • 父・悟さんは「現場を守る」ために26年間家賃を払い続けた
  • 2025年、DNAがついに真犯人を指し示した

「母の笑顔を取り戻したい」
——それが、26年にわたる父と息子の共通の祈りでした。

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