1963年11月22日、アメリカ第35代大統領ジョン・F・ケネディが暗殺された事件は、世界を震撼させました。
しかし、その真相は今なお完全には解明されていません。
FBIやCIAの隠蔽、科学的調査の欠陥、司法手続きの異常な省略…。
近年の機密文書公開により、新たな「隠された事実」が浮かび上がっています。
そこで今回この記事では
- 公式発表では語られない驚愕の真実、CIA・FBIの隠蔽、科学的調査の欠陥、最新機密文書公開
について調査しましたので、ぜひ最後まで読んでいってください!
それでは、早速始めましょう!
ケネディ大統領・射殺に隠された真実

1. FBIとCIAの致命的な怠慢
両機関はリー・ハーヴェイ・オズワルドを1959年から監視し、暗殺直前には「ダラス在住・勤務先」まで把握していました。
しかし、シークレットサービスには一切共有せず、予防措置も取られませんでした。
情報を持ちながら放置した事実は、単なる怠慢ではなく意図的隠蔽の可能性を示唆します。
2. 1960年に存在した「最初の暗殺計画」
実はケネディは就任前から命を狙われていました。
退職した郵便局員リチャード・パブリックがダイナマイト自爆攻撃を計画。
偶然のため未遂に終わりましたが、ケネディ暗殺が「長期にわたり狙われていた」ことを物語っています。
3. ダラス市長のCIAコネクション
2017年の文書公開で判明した衝撃の事実。
暗殺当日のダラス市長アール・キャベルはCIAの秘密協力者であり、弟はCIA副長官でした。
彼の「警護を控える要請」により、大統領の背後を守る警護官は配置されず、リムジンは無防備な状態に。
これは暗殺成功に直結した可能性があります。
4. 科学的検証の欠陥
驚くべきことに、銃の発射残渣や弾丸の血液検査といった基本的な鑑識が一切実施されていません。
通常なら不可欠な検証を省略したのはなぜか――「真実が表に出るのを避けた」意図が透けて見えます。
5. 連邦大陪審が開かれなかった異常
アメリカ大統領の暗殺という前代未聞の事件にもかかわらず、連邦大陪審は一度も招集されませんでした。
ウォーレン委員会は「単独犯行だから必要なし」と主張しましたが、それは循環論理に過ぎません。
6. クレイ・ショー裁判とCIAの偽証
ニューオーリンズ検察官ジム・ギャリソンが追及したクレイ・ショーは、裁判でCIA関係を否定。
しかし後に機密文書で「CIAの高額報酬協力者」と判明しました。
CIAはファイルを破棄し、メディアを操作して検察の動きを妨害していました。
7. 名誉学位拒否が運命を変えた可能性
1963年11月1日、テキサス・クリスチャン大学がケネディへの名誉学位を秘密裏に拒否。
もし授与されていれば、ダラス到着が遅れ、モーターケードの時間も変わり、暗殺は阻止された可能性があります。
8. ジャック・ルビーの謎の行動
ルビーは2日間オズワルドを執拗に追跡し、警察署地下に不可解な経路で侵入。
オズワルド射殺後に見せた「安堵の表情」は、まるで「任務を果たした」かのようでした。
組織犯罪やCIAとの関与が疑われています。
9. 最新の機密解除文書が示すもの
2017年、2021年、そして2025年3月には6万4千件の文書が追加公開。
依然として「決定的証拠」は不明ですが、FBIとCIAが組織的に情報を隠し続けていた構造がより鮮明になっています。
年表で振り返る「ケネディ暗殺の隠された真実」
年月日 | 出来事 | 隠された事実・重要ポイント |
---|---|---|
1959年 | リー・ハーヴェイ・オズワルド、ソ連へ亡命 | FBIとCIAがオズワルドの監視ファイルを作成開始 |
1960年12月11日 | リチャード・パブリックによる「最初の暗殺計画」 | ダイナマイト自爆攻撃を計画するも未遂 |
1961年1月20日 | ケネディ大統領就任 | すでに暗殺脅威の対象となっていた |
1963年11月1日 | テキサス・クリスチャン大学、名誉学位授与を拒否 | ダラス到着時間が早まり、暗殺計画の条件が整う |
1963年11月初旬 | FBI・CIAがオズワルドの勤務先(教科書倉庫ビル)を把握 | しかしシークレットサービスへ連絡せず |
1963年11月22日 | ダラスで暗殺事件発生 | リムジン後部の警護官配置が外され、狙撃成功の一因に |
1963年11月24日 | ジャック・ルビーがオズワルドを射殺 | 警察署地下への不可解な侵入経路、口封じ説が浮上 |
1964年 | ウォーレン委員会が「オズワルド単独犯行」報告書提出 | 連邦大陪審は一度も招集されず、司法手続きが省略 |
1967〜1969年 | クレイ・ショー裁判 | 当時は無罪、後の文書公開で「CIA協力者」と判明 |
1970年代 | HSCA(下院暗殺調査委員会)が「陰謀の可能性」を指摘 | しかし決定的証拠は依然伏せられる |
2017年10月 | 機密文書の大規模開示(約2万8千件) | ダラス市長キャベルがCIA秘密協力者だった事実が判明 |
2021〜2023年 | バイデン政権下で追加公開 | CIA・FBIの情報操作がより明確に |
2025年3月 | 最新の機密文書約64,000件を公開 | 依然として未公開文書あり、完全解明には至らず |
陰謀説ごとの比較表(CIA説・マフィア説・ソ連関与説)
説名 | コア主張 | 主な支持・裏付け証拠 | 主な反証・弱点 | 現時点での強さ(1〜5) | 代表的な提唱者 / 関連調査 |
---|---|---|---|---|---|
CIA関与説 | CIAの一部(あるいは協力者)が暗殺の計画・実行、または事件後に情報隠蔽を行った | 機密文書にCIA関係者や協力者の記録が含まれること、HSCAや各種開示資料でCIA活動の不透明さが指摘される点。CIA側資料の一部は検証困難。 出典:CIANational Archives | 直接的に「CIAが暗殺を命じた/実行した」と確定する決定的証拠は公表されていない。CIA側や研究者による反論資料も存在。調査は複数の機関が行い、多くの疑問点は「情報隠蔽」や手続きの不備の指摘に落ち着く。出典:CIA | 3(可能性あり。ただし直接証拠は不足) | ジム・ギャリソン(検察官)らの追及、陰謀論書、HSCAでの部分的示唆 |
マフィア関与説 | マフィア(カルロス・マルチェロ等)がケネディ/司法関係への不満から暗殺に関与、あるいはオズワルドと連絡のある者が介在 | ジャック・ルビーと犯罪組織との接点、ルビーの死後の電話記録/接触、HSCAがルビーの「多数の地下関係」を指摘した点。専門家や元捜査官の証言も多数。 出典:The Mob MuseumSpartacus Educational | ルビー=マフィア直結を示す確定的証拠は薄い。HSCAやその他調査は「関係がある可能性を否定できないが、決定的でない」と結論づける。電話の増加等は別要因(労働問題)で説明可能とする分析もある。出典:National Archives | 3(疑わしい接点あり。ただし決定証拠は欠落) | 著作・研究(Scheim 等)、HSCAのルビー分析、モブ研究者の主張 |
ソ連(KGB)/オズワルド同胞説 | ソ連やキューバ側諜報機関または親ロ派の協力者がオズワルドを操った、あるいは契約暗殺を行った | オズワルドのソ連亡命歴、ソ連当局との接触記録、オズワルドのキューバ/ソ連に関する活動履歴は公文書で確認できる。オズワルド自身の政治経歴は疑問点を残す。 出典:National Archives | ソ連(KGB)が暗殺を実行したという決定的証拠はない。ソ連側の動機や手口と照合しても「国家レベルの暗殺」は説明が難しい。多数の専門家は「オズワルド単独(または小規模協力)」の可能性を支持。 | 2(オズワルドのロシア接触は確実だが、国家的指令は薄い) | ウォーレン委員会結論、諜報記録、オズワルドの個人史研究 |
短い総括(エビデンス目線)
- HSCA(下院暗殺調査委員会)は1970年代に「複数銃声の可能性=陰謀の可能性」を指摘したが、物的決定打は示せなかった。CIAやFBIの情報の不透明さ、証拠破棄や手続きの省略が「隠蔽仮説」を強めている。出典:National ArchivesCIA
- マフィア説はルビーの交友関係や地下世界との接点で根拠が強まり得るが、「誰が指示したか」を示す一次証拠が欠ける。HSCAはルビーの“地下関係”を示唆した一方で、決定的な連結は示していない。出典:The Mob MuseumNational Archives
- ソ連関与説はオズワルド個人のソ連接触という確かな事実に支えられるが、KGBが直接暗殺を統制したとする証拠は乏しい。最近公開のファイルにも「オズワルドの接触記録」は含まれるが、国家主導の暗殺を示すものは出ていない。出典:National ArchivesAP News
まとめ
ケネディ暗殺は決して「一人の狂信者」によるものではありませんでした。
- 政府機関の怠慢と隠蔽
- 科学的調査の欠落
- 司法手続きの省略
- CIAによる世論操作と証拠破棄
これらが重なり、真実は半世紀以上も覆い隠されてきました。
今なお全ての文書が公開されていない事実は、国家ぐるみの隠蔽の存在を雄弁に物語っています。
最後までご覧頂きましてありがとうございました。
コメント