2025年7月9日、77歳で静かにこの世を去った和泉雅子さん。
昭和の青春スターとして一世を風靡し、日本人女性初の北極点到達者、そして真言宗の僧侶としても知られた彼女は、生涯独身を貫きました。
なぜ彼女は結婚しなかったのか?
なぜ、恋をせず、家庭を持たず、あえて孤高の道を選んだのか?
そこで今回この記事では
- 和泉さんの数奇で誇り高い人生
にフォ-カスしましたので、ぜひ最後まで読んでいってください!
それでは、早速始めましょう!
和泉雅子に夫がいなかった本当の理由・母の影、冒険、僧侶

恋を知らなかった少女時代 〜母の「恋愛禁止令」〜
和泉雅子さんの人生を語る上で、まず外せないのが母親の存在です。
10歳で劇団「若草」に所属し、13歳で日活デビュー。
以後スター女優として活躍する中、所属事務所と両親の間には一つの「取り決め」がありました。
「悪い虫がつかないように、恋愛は一切禁止。」
特に母親は付き人として常に和泉さんに付き添い、撮影後も自宅直帰。
26歳までその監視は続き、自由な交際は一切許されなかったのです。
和泉さんは後にこう語っています。
「25、26歳で出会ってれば、少しは親の目を盗めるからいいんだけど…誰とも行ったことがなかった。」
誰もが恋をし、愛を知るべき時期に、彼女はそれを経験することすらできなかったのです。
舟木一夫との噂…でも恋ではなかった
青春スターとして数々の映画で共演した舟木一夫さんとの関係を噂されたこともありました。
代表作「あゝ青春の胸の血は」「北国の街」などでの共演は、あまりに息がぴったりだったからです。
しかし、和泉さんはその関係をきっぱりと否定しています。
「恋愛感情なんてなかったんです。母が常にそばにいたから。」
二人は60年以上にわたり親しい友情を育みましたが、それは男女の関係ではなく、同志のような絆だったのです。
舟木さんは、和泉さんの死を悼みながら、こう語りました。
「彼女は僕の青春の一部だから…」
北極を目指した理由〜恋よりも「生きる意味」を求めて〜
1983年、南極取材に同行したことが、和泉さんの人生を大きく変えました。
美しくも過酷な自然に魅了され、彼女は冒険家の道を選びます。
1989年、日本人女性として初の北極点到達。
1億円以上の費用と数年の歳月、時に借金まみれとなりながらも、和泉さんは夢を叶えました。
彼女にとって、それは恋愛や家庭よりも「人生の目的」そのものだったのです。
僧侶としての晩年〜静かな精神の旅へ〜
晩年の和泉さんは、仏教の世界へと歩を進めます。
真言宗の僧侶となり、北海道士別市の山荘と東京の自宅を行き来しながら、仏画を描き、精神の平穏を追い求める日々を送っていました。
冒険家として極限を知った彼女は、最後に心の冒険へと向かっていたのかもしれません。
結婚をしなかったのではなく、「自分の人生を生きた」
世間一般の「幸せの形」に縛られることなく、
母の影から抜け出せない少女時代も、
孤独を引き受けてまで挑戦した冒険も、
そして、最後に辿り着いた精神の安らぎも――
それはすべて、和泉雅子という一人の女性の「信念」の表れでした。
恋愛や結婚という「幸せの定義」に当てはまらなくても、
彼女は間違いなく、自分だけの人生を、美しく、強く、生き抜いたのです。
まとめ
今回は和泉雅子さんに夫がいなかった本当の理由についてお伝えしました。
2024年に倒れて入院し、自宅療養を経て2025年7月9日、
原発不明がんのため、東京都内の自宅で静かに息を引き取った和泉雅子さん。
その人生は、あまりに静かで、あまりに壮大でした。
結婚という選択肢を選ばなかったからこそ見えた景色。
たどり着いた場所が、きっと彼女にはあったはずです。
和泉雅子さん、どうか安らかに。
あなたの生き方に、今、静かに光が当たっています。

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