昭和を代表する大スター・石原裕次郎さん(1934年〜1987年)。
映画にテレビ、音楽にプロデュース業まで、多才な活躍で国民的な人気を誇った彼は、「タフガイ」の愛称でも知られました。
しかし1987年7月17日、わずか52歳という若さでこの世を去った石原裕次郎さん。
その死因は「肝細胞がん」と公式に発表されていますが、その裏には多くの「意外な真実」と知られざる闘病の記録がありました。
そこで今回この記事では
- 石原裕次郎さんの死因の裏に隠された「生き様」の物語
についてお伝えしますので、ぜひ最後まで読んでいってください!
それでは、早速始めましょう!
石原裕次郎の本当の死の原因・意外な真実と壮絶な闘病生活

1. 公式発表の死因:肝細胞がん
裕次郎さんの死因は、肝細胞がん(肝臓がん)。
しかしそこに至るまで、彼の体には数々の病が襲いかかっていたのです。
2. 実は長年続いていた深刻な健康問題
石原さんの体調不良は、1980年代に入るずっと前から始まっていました。
- 1971年:結核で長期療養
- 1978年:舌下潰瘍で手術(後に舌がんと判明)
- 1981年:解離性大動脈瘤で緊急入院
特に1981年の「西部警察」ロケ中に倒れた解離性大動脈瘤の手術は、生還率わずか「3%」という極限の状況。
奇跡的に命を取り留めた彼には、全国から見舞いの手紙や花束が届き、その人気ぶりを改めて示す出来事となりました。
3. 意外な事実:本人には「がん告知」されていなかった!
1984年、裕次郎さんに肝臓がんが発見されます。
しかし驚くべきことに、本人には病名が最後まで告げられていなかったのです。
これは、当時の医療倫理観に基づいた判断。
本人を精神的ショックから守るため、家族や主治医の間で「告知しない」という選択がなされたのです。
夫人の石原まき子さんは、後にこう語っています。
「お客様がお帰りになったあと、病院関係者が泣きながら『奥さん、ごめんなさい。奥さんを騙していたことがたまらなかった』と言ったのです。私は逆に『ありがとうございます』と伝えました。」
出典:文春オンライン
現代では考えにくいこの対応も、時代背景を映す一つの象徴でした。
4. C型肝炎が原因だった可能性も?
そして今、医学的に注目されている「もうひとつの真実」があります。
それは、1981年の大動脈瘤手術時の大量輸血がC型肝炎を引き起こし、それが肝臓がんに進行したという説です。
当時はまだC型肝炎ウイルスの検査体制が整っていなかった時代。
輸血による感染の可能性は否定できません。
現在ではこのようなリスクは大幅に減少していますが、裕次郎さんの時代は医療の過渡期だったのです。
5. 死の直前には「幻覚」も…肝性脳症の苦しみ
亡くなる直前、石原裕次郎さんは肝性脳症と呼ばれる症状に悩まされていました。
これは肝機能の極端な低下によって毒素が脳に回り、幻覚や意識障害を引き起こす状態です。
その症状に苦しみながらも、最期まで毅然と生きた彼の姿は、まさに「タフガイ」の名にふさわしいものでした。
6. ネット上の憶測「梅毒説」は根拠薄
一部では「石原裕次郎の死因は梅毒だったのでは?」という噂も流れています。
これは、大動脈瘤と梅毒の関連性をもとにしたものですが、医学的な裏付けはなく、信ぴょう性の低い憶測です。
実際に治療を担当した慶應義塾大学病院でも、死因は「肝細胞がん」と明言されており、こうした噂は華やかな私生活に対する過剰な憶測に過ぎないと見られています。
7. 最期の言葉に宿る「石原軍団」への思い
石原裕次郎さんは、最期まで「石原プロダクション」の未来を気にかけていました。
まき子夫人によると、彼の遺言はこうだったといいます。
「俺が死んだらすぐ石原プロをたためよ」
仲間や弟分たちへの深い思いと、組織の未来を案じる優しさがにじむ一言でした。
まとめ
今回は石原裕次郎さんの死の原因と死因の裏に隠された「生き様」の物語についてお伝えしました。
裕次郎さんの死因は「肝細胞がん」とされていますが、そこに至る道のりには
- 解離性大動脈瘤
- 舌がん
- 結核
- 輸血によるC型肝炎の可能性
- 告知されない闘病生活
など、命をかけた数々の闘病エピソードがありました。
そして何よりも、最期まで「家族や仲間を思いやる姿」こそが、石原裕次郎という男の本質を物語っています。
昭和を駆け抜けた「タフガイ」の真実は、今もなお多くの人の心に深く刻まれています!
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