日本赤軍ハイジャック事件・衝撃の裏側!超法規的措置と知られざる真実に迫る!

日本史の闇に刻まれた日本赤軍によるハイジャック事件。

テレビや教科書で語られる断片的な情報だけでは、その全貌は掴めません。

しかし、事件の裏側には、「当初の目的地は北朝鮮ではなかった」という計画の変更、「犯人と人質の間に生まれた奇妙な連帯感」、そして「一人の命は地球より重い」という重い決断の影で起きた悲劇など、私たちが知るべき衝撃的な真実が隠されています。

この記事では、日本の戦後史に大きな爪痕を残した日本赤軍のハイジャック事件にまつわる、特に興味深く、感情を揺さぶる「知られざる真実」を徹底解説します。


目次

よど号ハイジャック事件(1970年):極限下の人間ドラマ

1970年3月31日、日本中を震撼させた史上初のハイジャック事件。高校生を含む9人の赤軍派メンバーが、日航機「よど号」を乗っ取りました。

この事件の裏には、映画のようなドラマと、現代にも通じる深い教訓が隠されています。

1. 当初の目的地は「キューバ」だった衝撃の事実

「よど号」といえば「北朝鮮行き」というイメージが定着していますが、実は赤軍派が当初目指したのは、南米のキューバでした。

しかし、駐日キューバ大使との直接交渉で入国を断られた際に、「近くにもっとよい国があるではないか」と示唆されたことが、急遽北朝鮮行きを決めた驚きの経緯を物語っています。

2. 韓国による「巧妙すぎる偽装工作」と失敗

よど号は、平壌ではなく韓国の金浦空港に誘導されました。

韓国当局は、北朝鮮兵の軍服を着て出迎え、空港の表示を隠し、空港を徹底的に「平壌」に見せかける大掛かりな偽装工作を実行。

しかし、空港内にたまたま駐機していた米民間機を発見した犯人グループに、嘘がバレてしまいます。

この緊迫した状況は、まさに手に汗握るスパイ映画のようです。

3. 犯人と人質に生まれた「奇妙な連帯感」

極限状態にあった金浦空港で、犯人グループと乗客の間には、予想外の「人間的な連帯感」が芽生えました。

  • 乗客の中には、「途中で挫折してもらったら困る」と犯人にエールを送る者。
  • 健康を気遣う者。

そして、別れ際には固い握手を交わし、「健康でな」「がんばれよ」と励まし合う光景が見られました。

この瞬間、彼らは敵と味方ではなく、「同じ飛行機に乗り合わせた人間」だったのかもしれません。

4. 爆発的な人気漫画「明日のジョー」への異常なこだわり

リーダーの田宮高麿が事件直前の「出発宣言」で記した言葉は、「われわれは明日のジョーである」でした。

当時、社会現象を巻き起こしていた漫画『あしたのジョー』は、「失うものは何もない」という主人公の生き様が、革命家の理想像と重なって見えたのです。

彼らの行動の背景には、単なる政治思想だけでなく、当時の若者の熱狂的な「魂の叫び」があったのです。

5. 乗客だった日野原重明医師の「後年の厳しい批判」が与えた衝撃

乗客だった聖路加国際病院の日野原重明院長(当時)は、当初は犯人を「学生だからねえ」と擁護し、犯人グループは彼を「理解者」と思い込んでいました。

しかし、2000年になって日野原氏が「あの事件は乗客にとって精神的・肉体的トラウマになっている」と厳しく批判。この言葉は、犯人グループに大きな衝撃を与え、自分たちの行為を深く見つめ直す「総括」を深めるきっかけとなりました。


ダッカ事件(1977年):日本政府の「重すぎる決断」

1977年9月、日本赤軍が日航機をハイジャックし、身代金と仲間(6名)の釈放を要求した事件です。

1. 福田赳夫首相の「一人の生命は地球より重い」

当時の福田赳夫首相は、テロリストの要求をのむか、乗客の命を優先するかという究極の選択を迫られました。

そして、首相は「一人の生命は地球より重い」として、身代金600万ドルと、服役中の日本赤軍メンバー6名の釈放を決断。

この「超法規的措置」は、国内外で大きな波紋を呼び、その後の日本の危機管理のあり方を根本から変えることになりました。

2. 釈放された囚人たちが招いた「最悪の結果」

この超法規的措置で釈放された6名のうち、複数のメンバーがその後も国際テロ活動を継続。

彼らの中には、後に別の事件で再逮捕される者もいました。

この事実は、「テロリストに屈した」という批判を裏付けるものとなり、「人命を救った決断」の裏で、日本が「テロの温床」を生んでしまったという、あまりにも重い事実を残しました。


ドバイ事件(1973年):予期せぬ悲劇的な幕開け

この事件は、日本赤軍とPFLP(パレスチナ解放人民戦線)の混成部隊によるもので、開始直後から悲劇が起きました。

女性犯人による「手榴弾の誤爆」という悲劇

アムステルダム出発後、女性犯人が機内のラウンジで誤って手榴弾を爆発させてしまい、自らが死亡するという悲劇的な幕開けでした。

この予期せぬ誤爆が事件の制圧のきっかけとなり、計画は大きく狂うことになります。


闇に葬られた「よど号グループ」の日本人拉致工作

事件後、北朝鮮に渡った「よど号グループ」は、単に亡命しただけでなく、さらなる深い闇に関わっていました。

隠された「日本人拉致事件」への関与

彼らは、1980年代にヨーロッパで日本人女性を拉致する工作活動に関与していたことが判明しています。

石岡亨さん、松木薫さん、有本恵子さんら3名が連れ去られた事件で、よど号メンバーとその妻らが関与。

これは、ハイジャック事件が単なるテロ事件で終わらず、日本の現代史における最も重い問題の一つである「拉致問題」に深く繋がっていることを示しています。


まとめ:事件の複雑さと教訓

日本赤軍によるハイジャック事件は、単なる過激な政治的テロ事件ではありませんでした。

  • 政治
  • 人間のドラマ
  • 国際的な危機管理
  • 時代の熱狂

これらが複雑に絡み合い、現代にまで影響を及ぼす歴史的な事件でした。

特に、犯人グループが後年、自らの行為を深く反省し総括していった過程は、「過ちを犯した人間」の視点から、事件の重さを改めて私たちに教えてくれます。

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