豊臣秀吉といえば「天下人」「太閤」の名で知られる、日本史上屈指の偉人です。
しかし、実は彼の身体にまつわる“驚きの事実”が複数の史料に残されていることをご存じでしょうか。
そこで今回この記事では
- あまり語られることのない「六本指説」に焦点を当て、史料的根拠とその意味
を掘り下げますので、ぜひ最後まで読んでいってください!
それでは、早速始めましょう!
豊臣秀吉の右手には6本指があった?知られざる驚きの真実に迫る!

1. 史料が語る「六本指」の証拠
ルイス・フロイス『日本史』
ポルトガル人宣教師フロイスは、実際に秀吉と対面した人物。
その著書『日本史』には次のような衝撃的な記録があります。
「秀吉は身長が低く、醜悪な容貌で、片手には6本の指があった」
外国人の目から見た率直な描写であり、政治的な忖度がない点で信頼性が高いとされています。
前田利家『国祖遺言』
秀吉の盟友・前田利家の伝記には、さらに具体的な描写が残されています。
「太閤様は右手の親指が1つ多く、6つもあった。信長様はこれを『六ツめ』と呼んでいた」
さらに、秀吉がそれを切除せず、特に隠そうともしなかったことが記されています。
姜沆『看羊録』(朝鮮の記録)
朝鮮の儒学者・姜沆は、秀吉について次のように記しました。
「生まれたとき右手に6本指があり、成長すると刀で切り落とした」
ただしこれは『国祖遺言』と矛盾しており、情報の伝わり方の違いが浮き彫りとなっています。
2. あまり知られていない興味深い事実
織田信長の“秘密のあだ名”
信長は秀吉を「猿」と呼んだことで知られますが、実は「六ツめ」というあだ名も用いていたとされます。
秀吉の右手の特徴をからかった呼称で、一般にはあまり知られていません。
秀吉は6本指を隠さなかった
『国祖遺言』によれば、秀吉は特に隠す様子もなく人前に出ていたようです。
当時の外科手術は感染リスクが高かったため、あえて切除しなかったとも考えられます。
医学的にみると「先天性多指症」
現代の医学では、この症状は「母指多指症」と呼ばれる先天異常に一致します。
- 発生率:約1000人に1人
- 90%以上が親指に発症
- 男性に多く、右手に偏る傾向
秀吉の記録はこの典型例と驚くほど一致しています。
3. 信憑性と史料の矛盾
- 日本の史料では「切り取らなかった」
- 朝鮮の史料では「刀で切り落とした」
この違いは、情報の伝達や記録者の立場の差から生じた可能性があります。
とはいえ、外国・日本・朝鮮の3つの独立した史料に共通して“六本指”が登場する事実は極めて重いものです。
4. 年表:秀吉の生涯と六本指の記録
- 1537年 尾張国に生まれる(幼名:日吉丸)
- 幼少期 右手に6本指があったとの記録あり(『看羊録』)
- 1558年頃 織田信長に仕える、あだ名「猿」「六ツめ」と呼ばれる
- 1582年 本能寺の変後、山崎の戦いで明智光秀を討ち天下人の道へ
- 1585年 関白就任、黄金の茶室などで権勢を誇示
- 1587年 バテレン追放令を発布
- 1590年 小田原征伐で天下統一
- 1592年 文禄の役(朝鮮出兵)開始
- 1597年 『国祖遺言』に右手六本指の具体的証言が記録される
- 1598年 秀吉死去(享年62)。死後も「六ツめ」の逸話が各地に伝わる
5. 信長・家康との比較表
項目 | 織田信長 | 豊臣秀吉 | 徳川家康 |
---|---|---|---|
出自 | 尾張の戦国大名、織田弾正忠家 | 尾張の足軽出身(日吉丸) | 三河国の土豪出身、松平家 |
特徴的な逸話 | 奇抜な行動、比叡山焼き討ち | 六本指の身体的特徴、庶民出身から天下人へ | 我慢強さ「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」 |
あだ名 | 「第六天魔王」 | 「猿」「六ツめ」 | 「タヌキ」 |
政治手法 | 恐怖と革新 | 調略と人心掌握 | 安定と秩序、長期戦略 |
晩年 | 明智光秀に討たれる | 暴走(秀次事件・朝鮮出兵) | 天下統一を果たし江戸幕府を開く |
6. 総合まとめ:秀吉の人物像(箇条書き)
- 庶民出身から天下人にのし上がった“成り上がりの象徴”
- 右手の六本指という身体的特徴を持ちながらも隠さず堂々と振る舞った
- 織田信長から「猿」「六ツめ」とあだ名されるも、それを逆に力に変えた
- 人心掌握と調略の才に長け、家康をしても恐れられた
- 黄金の茶室に象徴されるように、権力の誇示に強いこだわりを見せた
- 一方で秀次事件や朝鮮出兵など、晩年は暴走気味だった
- 外国・日本・朝鮮、三方向の史料に共通して「六本指」が記録される
- 医学的には典型的な「先天性多指症」と考えられる
- 切除しなかったことが彼の“生き様”そのものを象徴している
- 人間的弱さと大胆さを併せ持つ、その複雑な魅力が今なお語り継がれている
まとめ
豊臣秀吉の「六本指説」は単なる噂ではなく、複数の史料に裏付けられた可能性の高い事実です。
天下を統一した男が、人知れぬ身体的特徴を持ちながらも、それを隠さず堂々と振る舞ったとすれば、むしろその人間的魅力を際立たせるエピソードではないでしょうか。
歴史の陰に隠された秀吉の“六ツめの指”は、今なお私たちに強烈な興味を投げかけています。
最後までご覧頂きましてありがとうございました。
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