沢田研二『悪魔のようなあいつ』と3億円事件の闇! 隠された真実に迫る!

昭和を代表するスター・沢田研二さんが主演したドラマ『悪魔のようなあいつ』(TBS系、1975年)。

放送から半世紀近く経った今も語り草となっているのは、その過激な内容と“ある未解決事件”との不気味なシンクロです。

そう、1968年に発生し、今なお真相が闇に包まれた「3億円事件」との関係です。

調べを進めると、表には出ない驚くべき事実がいくつも浮かび上がってきました。


目次

沢田研二『悪魔のようなあいつ』の裏側

1. 放送タイミングの不可解さ

『悪魔のようなあいつ』が放送されたのは1975年6月6日から9月26日。

まさに3億円事件の時効(1975年12月10日)が目前に迫っていた時期です。

しかも毎回のエンディングには「時効まであと○日」と表示され、事件を意識させる演出が盛り込まれていました。

当初は時効当日まで続ける計画だったとも言われますが、視聴率不振を理由に3か月で打ち切りとなりました。

2. 阿久悠×上村一夫という異色タッグ

原作は作詞家・阿久悠と劇画家・上村一夫のコンビによる同名漫画。

阿久悠はその後、沢田研二さんの大ヒット曲「時の過ぎゆくままに」を書くことになります。

歌とドラマがシンクロするような仕掛けを感じさせるのも興味深い点です。

3. 問題作として封印された理由

沢田研二さん自身が「主人公は放送時間の半分は裸だった」と語るほど、当時のTVドラマとしては異例のベッドシーン、拷問、殺人、同性愛描写まで含んだ過激な内容でした。

家庭の茶の間で流すには衝撃的すぎ、放送後は“封印作品”として長らく再放送されていません。

4. 後世への影響

栗本薫(中島梓)の耽美小説『真夜中の天使』は、この作品から強いインスピレーションを受けたといわれています。

沢田研二演じる可門良と藤竜也演じる野々村の関係性が、後のBL文学や耽美小説の源流になったと考える研究者も少なくありません。


3億円事件 ― 捜査の闇に隠された事実

1968年12月、白バイ警官に扮した犯人が東芝府中工場のボーナス輸送車を奪い、3億円を強奪した事件。

未解決のまま時効を迎えましたが、実は公にされなかった驚愕の真相がいくつも存在します。

1. 推理作家への極秘ヒアリング

事件発生から約10か月後、警察は5人の推理作家に極秘で意見を求めました。

実際の捜査に作家の洞察を取り入れるという異例の対応は、公式記録にはほとんど残されていません。

2. 偽のモンタージュ写真

公開された犯人の似顔絵写真は実際にはモンタージュではなく、すでに亡くなっていた人物の写真だったことが近年の取材で明らかになっています。

なぜそんな“偽装”が必要だったのでしょうか。

3. 「警察幹部の息子」説

現場証言から浮上したのは、ある19歳の少年。

彼は警視庁幹部の息子でした。

表沙汰にできないため、別人の写真が使われたとされます。

4. 容疑者の不可解な死

その少年は事件からわずか5日後、青酸カリで死亡。

父は警察官で、薬品を入手できる環境にありました。

自殺か口封じか――真相は闇の中です。

5. 物証の隠蔽疑惑

ニセ白バイのメガホンから剥がれた新聞紙は、事件直前に配布された産経新聞で、少年宅周辺にも配られていたものでした。

さらにジュラルミンケースに付着した土が少年宅周辺の土壌と一致していたという報道もありますが、公的記録からは抹消されています。

6. 平塚八兵衛の謎のリーク

名刑事・平塚八兵衛が誤認逮捕の情報をマスコミにリークした裏には、今なお解明されない動機が隠されています。

彼自身が「筆跡が違う」と気づいていたにもかかわらず、なぜメディアに情報を流したのか――。


社会への衝撃と沢田研二の役割

3億円事件は「誰も損をしなかった事件」と呼ばれました。

奪われたボーナスは翌日全員に支給され、銀行は保険でカバー、最終的な負担は海外の保険会社が背負いました。

このため、犯人像は“権力に挑んだヒーロー”として語られることさえありました。

そして同じ年、沢田研二が『悪魔のようなあいつ』で演じた危険で美しい主人公・可門良は、まさにその時代の“闇と憧れ”を体現していたのです。

年表で振り返る ― 『悪魔のようなあいつ』と3億円事件の真相

年月日出来事
1968年12月10日東京都府中市で「3億円事件」発生。白バイ警官に偽装した犯人が現金輸送車を奪い、約3億円を強奪。昭和最大の未解決事件の幕開け。
1969年~1974年警視庁が延べ数百万の捜査員を投入し、数万人規模の聞き込みを実施。だが決定的証拠は得られず。
1969年10月頃捜査の異例策として、推理作家5人に極秘で情報を伝え、意見を聴取。公式にはほとんど語られていない裏話。
1970年~1971年犯人のモンタージュ写真が公開されるが、実際はすでに亡くなっていた人物の写真だったことが後年判明。警察の“偽装工作”が疑われる。
1971年頃銀行員の証言から「19歳の少年」が容疑者として浮上。この少年は警察幹部の息子で、表沙汰にはできず“似た人物”として別の写真が利用された。
1968年12月15日(事件から5日後)その少年容疑者が青酸カリで急死。父親は警察官で、薬品を入手できる環境にあった。自殺か口封じか、今なお謎。
1972年頃物証として、偽白バイに使われたメガホンから剥がれた新聞紙片が発見される。事件直前の産経新聞で、少年宅周辺にも配布されていた。ジュラルミンケースに付着した土壌も、少年宅周辺のものと一致したと報告されるが、公表されず。
1973年頃刑事・平塚八兵衛が「誤認逮捕」に関する情報を新聞社へリーク。しかし本人は筆跡の不一致を認識しており、なぜ流したのか動機はいまだ不明。
1974年阿久悠と上村一夫の原作漫画『悪魔のようなあいつ』が登場。耽美的な作風と犯罪モチーフで注目を集める。
1975年6月6日TBSドラマ『悪魔のようなあいつ』放送開始。主演は沢田研二。エンディングに「時効まであと○日」と表示し、視聴者に3億円事件を想起させる演出。
1975年7月~8月過激な描写(ベッドシーン、暴力、同性愛など)が批判を浴び、視聴率も伸び悩む。早期打ち切りが決定。
1975年9月26日ドラマ最終回(全13回)。当初は時効日まで続ける構想もあったが、わずか3か月で終了。
1975年12月10日3億円事件が時効を迎える。犯人は特定されず、真相は永遠に闇の中へ。

まとめ

年表で改めて振り返ると、『悪魔のようなあいつ』は3億円事件の時効を目前にした時代の空気を、まるで鏡のように映し出していたことが分かります。

沢田研二さんの妖艶な魅力が時代の闇と結びつき、単なるドラマ以上の意味を持つ作品となっていたのです。

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